キジ猫世間噺大系

一人暮らしで猫を飼った男の末路

【君の名は。】30歳男が一人映画館でガチ号泣 新海やってくれたな

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※以下の記事には途中からネタバレが含まれています。 

ついに観てきましたよ、『君の名は。」僕は過去に新海誠作品をいくつか観てますが、『秒速』を観たときのダメージを思い出して二の足を踏んでいたところで、『後妻業の女』なんかを先に観てレビューもしてたのですが、方々から『君の名は。』はやばいと聞きますれば、意を決して今回も一人レイトショーへ向かいました。このブログ、猫ブログじゃなくて映画ブログになってきたな・・

『後妻業の女』もオススメです。

実際鑑賞してみたら、『秒速』の時よりはるかに昇華されたとんでもない映画で、終始引き込まれっぱなし。久々に映画に没頭できたように思います。なんか僕は集中力が足りないのか、映画を観ていて「あれ、明日何時起きだっけ」とか「猫のエサどんだけ残ってたっけ」とか考えがちなのですが、この映画は一切そんなことがなかった。始めから終わりまで映画の中、という体験はかなりのストレス解消になったように思います。まだ映画が公開されて日が浅いですが、ガチ感想を以下に書いていこうと思います。 

「君の名は。」の由来

真っ先に思い出したのは、昭和の名作映画『君の名は(1953)』。たぶん僕らの世代でも知ってる人は少ないと思いますが、これが昭和の恋愛映画の傑作で、「君の名は」というワードは、すれ違ってばかりでなかなか会えないことを指す慣用句にもなっていると思います。「君の名はくらいすれ違ってるな」とか「君の名はじゃないけど全然かみ合わない」みたいな使い方をある年齢層より上はよくしている気がします。というくらいすれ違う映画なのです。イメージとしては『冬ソナ』と一緒です。延々すれ違ってじれったい恋愛物の王道。

ということから、僕はこの映画はどうせすれ違う系の恋愛物だろうなーくらいの予想はしていました。まあそれ以上に予想を裏切る展開でしたが。そして、この映画は新海誠監督のこれまでの映画の集大成だと思っています。

集大成たる理由

新海監督の作品は色々観てますが、『君の名は。』は『ほしのこえ』と『秒速5センチメートル』の最高の部分を取ってきて凝縮しているように感じました。『ほしのこえ』の方は、宇宙に旅立った少女と地球に残った少年の遠距離恋愛を描いたもので、その遠距離が8光年というところがミソなのですが、メールを打ったら届くまで8年かかる、という超絶切ない設定で精神をえぐってきます。

そして、代表作『秒速』には僕はもっと精神をやられています。初めて観たのは会社の寮の6畳一間でした。休日に男3人が集まり鑑賞したのですが、3人とも鑑賞後のダメージがひどく、特に同期のF氏はかなりやられていたようで、鑑賞して一週間後に話したときも「俺は彼女の想いに応えられているのかな・・」と相当に引きずっていたくらい。まさに鑑賞後ずっと後を引く新海マジック。『秒速』はもう少し救いのある風に作ってほしかった・・

これらの新海作品は、「女々しい」とか「童貞臭い」とか批評も多かったのですが、『君の名は。』は有無を言わせぬ程の完成度で、新海監督の評価をまた一新するのではないでしょうか。

※ 以下からネタバレがあります!

 

映像美がハンパない件

新海作品全てに言えることですが、映像に対するこだわりがものすごいです。特に光の陰影がやばい。一瞬にして目を奪われる夏の強い光の情景、雨のリアルな描写、そしてなんと言っても本作のキーとなる隕石のキレイさが怖いやばい。ゴゴゴゴゴ・・・って隕石が迫ってくるんですが、青く光ってて、すごく幻想的なんです。核爆弾のきのこ雲も実物を見たらキレイだという話ですし、実際やばいものはキレイなのかもしれないですね。幽々白書でも「綺麗な薔薇には棘があるのさ」つってたし。ちがうか。

 なんかもうほんと聖地巡礼したい。岐阜行きたい。四ツ谷はすぐ行けるし行こうかな。全然関係ないですが『ルドルフとイッパイアッテナ』でも岐阜出てきますね。『聲の形』も岐阜が舞台みたいですし。最近のこの岐阜オシはなんなんだろ。

 

ストーリーの緻密さ

僕は映画はストーリーが全てだと思っていて、物語の少しのほころびも気になるタイプなのですが、『君の名は。』は完全に伏線を回収し、それでいて意外性のある作品になっていました。一番大事なところです。序盤は学園ラブコメみたいなムードで進んでいくのですが、僕はずっとハラハラしながら観てました。いつ新海がぶっ込んでくるか、これは伏線か?という感じで注意深く観てましたよ、ええ。

そして案の定やってくれました。隕石で町壊滅なんて予想してなかったよ。新海やってくれたな!そしてこの展開はマジで恐怖を感じました。なんかデジャブしたのでなんだろうなーと考えたのですが、この怖さは映画『ドラえもん のび太と雲の王国(1992)』を観た時に感じた怖さと酷似していることに気づきました。雲の王国では「ノア計画」という陰謀があり、実際にのび太の住む町が洪水で流される描写があります。のび太の両親は既に避難していましたが、その時のび太は他の場所にいて、両親はきっとのび太が行方不明になったと心配してるなーなんて色々考えてマジで怖くなります。昔のドラえもんはほんと名作ぞろいです。

一度は死んでしまうことになっている糸守町の人を考えるとほんと怖い。そんな感情もあって、最後までハッピーエンドかそうでないか分からずに、「ハッピーエンドであってくれ!」と願ってる僕がいました。

ちなみに本作で三葉の住む世界は三年前かーい!と驚愕の事実を突きつけられるのですが、いやいやバイトのシフトとか入れてたら今何年かわかるやろ!とのツッコミがありますが、それも野暮というものです。入れ替わり中の記憶は曖昧なのです。ちな一昨日の晩御飯がすぐに言えなくなったらヤバイらしいです。というか今俺言えねーわ。入れ替わり中かな?

 

30歳男が号泣したポイント

なんといってもカタワレ時に二人が会えたシーンですね。ずっと願ってた想いが形になる瞬間で、二人は照れあいながらもお互いの想いを理解し、すぐに消えてしまいます。ここらへんがまさに新海ですね。会わせても一瞬っていう。その後、お互いに絶対忘れないように一人で走りながら復唱します。君の名前、大丈夫!覚えてる、絶対忘れない!と言ってるシーンが一人づつ続きます。ここがマジ泣けます。そして言ってるそばから忘れます。ニワトリかーい!と突っ込みながら号泣してましたからね。三歩歩いたら忘れるんかーい!つって。エンドロールまで二人は再び会えるのかすごいドキドキして観てましたが、最後は二人は本当に会えてよかった。会えなかったら『秒速』以上のダメージが残り、僕は明日出社できないかもしれない。 

 

忘れていくことの切なさについて

この映画、主人公達がどんどん色んなことを忘れていく。そしてその忘れる感じにとっても共感できます。僕も夢を見たら起きた瞬間に大体忘れてますし、その忘却という経験が強烈に主人公達への感情移入を強めます。絶対に忘れないと思ったことでも忘れてしまう。実際現実に生活しててもそんなことはあるし、それでいいのかもしれない。映画を観てそんなことを一人考えてしまいました。

そして、忘れているだけで実は僕も世界を救ったような過去があるかもしれない。ないか。

 

という訳で、『君の名は。』は新海の伝説の幕開けを予感させるような傑作でございました。アニメも世代交代ですかね。これからも新海監督の作品が楽しみです。またまたもうこんな時間、寝なければ。ほんとは考察サイト巡回したいけど、これサラリーマンの辛いところね。