キジ猫世間噺大系

一人暮らしで猫を飼った男の末路

変わらない『天天有』の味と自堕落な京都時代のおもひで

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先日、10年ぶりに京都は一乗寺にあるゲロうまラーメン『天天有』を訪れた。

『天天有』は僕が京都で学生生活を送った当時、頻繁に原付で足を運んだ洛中でも指折りに美味いラーメン屋だ。

学生寮での昼夜逆転の生活で、自分が腐っていることにも気づかない程腐りきっていた当時、宝ヶ池のビリヤード場でひたすら賭けナインボールをやった後、〆に足を運ぶのは天天有だった。

僕らは常に閑散としたビリヤード場の常連で、決まって深夜まで玉突きに興じた。暇を持て余した雇われ店長は自堕落な僕らを気に入ってくれて、何時間やっても千円という特別価格で僕らを優待してくれた。僕らは甘ったるいアイスココアを飲み、ビリヤードに飽きたら25ans(ヴァンサンカン)をペラペラめくり、大人の女性のファッションに対して背伸びしてあーだこーだと持論を並べた。

当時30歳過ぎだった店長とは麻雀もするようになり、ある対局で発中が鳴かれた状態で白を切った僕は放銃こそしなかったが、店長に割とガチめにキレられた。それ以来店長とは少し疎遠になった。売春が人類初の商売であるというまことしやかな話をする店長は、先行きに不安を感じパソコンの勉強を始めていた。

天天有を想うとき、頭に浮かぶのは上記のような自堕落な日常だ。

 

10月の晴れた日曜日、僕は大阪で働く後輩にリクエストし、車で天天有に訪れた。開いてなかったら『東龍』か『高安』に行くというのは10年前から変わらないプランニングだ。

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天天有は開いていた。当時と変わらない門構えで、昔の並んだ記憶が蘇る。行列は出来ておらずすんなり中に入ることができた。


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メニューも変わっていない。チャーシューの一部を煮卵にチェンジできるという画期的な手法は他店も取り入れてほしいものである。ラーメン並煮卵入りを注文。


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2人の店員が切り盛りする。雰囲気は10年前と全く変わらない。店が変わらないことは褒められたことだが、俺の10年は一体何だったのか、かつての自堕落な俺から何か変われたのだろうか。否。


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程なくして運ばれたラーメンは昔のままのビジュアル、匂いで当時の情景がフラッシュバックした。あれからいろんなラーメンを食べたが、ここまでの煮卵のトロトロ感はここでしか味わえない。


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麺を持ち上げてみる。片手で麺を持ち上げてミラーレス一眼のシャッターを切るのは不可能に近いことを始めて知った。この箸を持っているのは対面にいる後輩である。


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10年の時を超え、当時の後輩と食す天天有は全く変わらない味だった。鶏ベースだと思うが、放置すると表面に膜が張るほどこってり濃厚なスープは独特な強い甘味があり、唐辛子を入れるとその甘さが一層引き立つ。

そうだ、これこれ。俺はこれを求めてたんだ。10年越しの天天有は涙が出るほど美味かったが、当時は感じなかった胃もたれは僕に月日の流れを知らしめた。


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僕らの学生時代、天天有の隣にできた『夢を語れ』も変わらず営業していた。二郎系を京都に持ち込んだセカンドパイオニアにはついぞ行くことはなかった。

 

変わらない天天有と少し変わった自分。当時天天有を奢ってくれた先輩はビリヤードのプロになると言って就職しなかった。もう1人は三留の果て、ブラック企業に就職した。そんな経緯もあったが、今や先輩達は立派な社会人として活躍している。

件の店長はどうなったか。あの時あそこにいた面子は何とかなってるはずだという確信に似た想いと共に僕は天天有を後にした。

10年前と同じく「さよなら、天さん」と呟きながら。