キジ猫世間噺大系

一人暮らしで猫を飼った男の末路

この中に国葬とかされたいやついる?いねーよなぁ!?

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国葬をやるかやらないかで揉めている昨今ですが、葬式という儀式自体が極めて宗教的なので、故人の冥福とか言っちゃってる時点で、死後の世界があることを前提とする統一教会と同じ穴のムジナだと思うんですが。


残された人の気持ちの整理のために葬式が必要、というのは理解できますが、故人のために、というのはどうもうまく理解できません。およそ、かの故人もなぜ自分が殺されたかはおろか自分が死んだことすら知らないということになります。演説してたらいきなり意識が途切れてそれで終わり、ということだと思います。石原慎太郎は、死後の世界はやはり虚無である、と言っていて、それはそれでサミシイものがありますが、そういうことなんだろうな、という気がします。


故人のこと忘れないでね、忘れられた時が本当に死ぬ時、とかも聞きますが、ちゃんちゃらおかしいと思います。みんなの心の中に生きてるとか言うんですけど、そんなの子世代孫世代が死んだら誰も覚えてない、というか知らないから、百歩譲ってもたかだか寿命が多少延びたようなもので、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり、ということでしょう。


今ゴーストオブツシマやってるんですけど、ボスのコトゥン・ハーンというのがいて、このコトゥンは後世にどう伝わるかも意識して対馬攻めをしてるらしいです。歴史に名を残したい、なんて言うけど、歴史に名を残す価値って何?と思います。死後も褒められたい、ということならもっと褒められるようなことしろって、と思います。


あと、先般叔父が亡くなりまして、その戒名が割と簡素なものでした。他の祖先は○○院○○居士とかいって割と大仰な名前が付いてるんですが、叔父は○○○、と本名よりも短いなんと3文字。これは坊主に金を払わなかったことなんだと推察しますが、金払えばカッコいい名前付けてもらえるって何よ。現世の坊主を潤すためになら名前なんてテキトーでいいわ、と思います。


というか、戒名自分でつけたらダメなんですか?今は成人すると自分の名前変えられますよね。「藤岡弘、」みたいにすることすら可能といいます。じゃあどっかの生臭坊主が適当に充てた名前なんてこっちから願い下げで、みんなもう自分で名前付けましょうよ。僕は曽祖父の戒名が「超絶院○○居士」とかいうかっこいいものだったので、あやかって「超絶院空前絶後居士」と自分でつけときますわ。あ、でもこれだとサンシャイン池崎とバッティングしますね。だったら「自演乙☆」とかでいいです。


なので僕は墓石とかも要らなくて、骨を残すことも不要で、それに金がかかるんであれば生きてる人がその金で美味いもんでも食ってくれ、と思います。永代供養とかで半永久的にランニングコストがかかるとか、人の気持ちを食い物にするサタンの所業。どうしても墓作りてぇな、となったらアイスの棒でもおっ立てて「ちょうぜついんのはか」とかマジックで書いてくれれば僕はそれで成仏できますんで。あと、最初の一回拝んだら、特別に100億万回分拝んだことにしてもいいんで。


と、ここまで書いてみて、地元の寺の息子の同級生で、骨壷にエロ本を隠していたことでお馴染みのワタナベ君の死生観を聞いてみたくなりました。