ボーイズオンザランという漫画を一気読みした。何をやっても不格好な主人公田西敏行(27)の奮闘を描いたこの漫画、実に救いがない。運も実力も足りずにひたすらに報われない男の半生はその不器用さ、短絡さ、愚直さゆえただただ空回りし続ける。世の中のありとあらゆる羞恥を煮詰めたような田西を見ていると、共感性羞恥で喉を掻きむしりたくなる。そして、作中で描かれる田西の顔は、常に血と汗と涙と鼻水で塗れている。
だがそこに悲壮感はない。喜劇と悲劇は表裏一体と言うが、がむしゃらに頑張りながら坂道を転がり続ける田西の姿を目の当たりにして我々は笑ってしまう。当人にとっては地獄だとしても神の目線で作品を俯瞰する我々にとって、田西の生き様は喜劇である。作中で起こるささやかな悲劇に内蔵されたおかしみは松本人志が作る笑いの空気感に近いものがありしっかりとギャグとして成立している。その点が同じく悲劇を描き続けるウシジマくんの面白さとは一線を画すものだろう。
また、この作品には予定調和というものが一切ない。ライバルを倒すために努力し、女と付き合えそうな伏線が随所に散りばめられていながら、物語に貫かれるのは徹底したリアル。因果応報は存在しない、努力は報われない。リアルな世界で生きる田西だからこそ、稀に上手くいった場面で最上のカタルシスを得ることができるのである。サウナあっての水風呂、ケの日あってのハレの日、不幸あっての幸なのである。
さらに言えば、桂正和のI’sしかり、いちご100%しかり、よくあるラブコメのフォーマットは主人公が何故かモテモテというもので、予定調和のうちに収まるところに収まっていくものだが、決して先の見えない田西の恋を、無様な姿を晒し続ける田西の奮闘を、予定調和がないが故にいつしか心から応援していることに気づくのだ。
先程田西の生き様は喜劇だと述べたが、無様な田西の姿を僕らは実は笑うことはできない。男は皆田西の持つ情けなさ、カッコ悪さを同じく保有していながら、それを隠し、見栄を張って、虚勢を保っているだけなのだ。どんなイケメンでも、今のダサかったかな、とか、女々しいと思われたかな、とか、周りの評価を気にして生きていることを僕は知ってる。だからこそ、自分のカッコ悪さを前面にさらけ出してなお前に進もうとする田西に心震えるのである。カッコいいと思ってしまうのである。糞尿を垂らしても、女に馬鹿にされても、田西のカッコよさは紛れもないもの。田西の心根の正しさは、目を覆いたくなる悲惨な絵面と羞恥とは裏腹に我々に問いかける。お前は逃げていないかと。作中「あんたのためじゃねーよ!」と啖呵を切る田西の一言が切実に響く。そうだ、誰のためでもない。自分のためにこそ田西よ進め。
また、この作品の面白さは、ちはるという女を抜きにして語れない。田西の勤めるガチャガチャメーカーの社員なのだが、これがめちゃくちゃにかわいい。だが、この正体がまさに猛禽。猛禽とはかつて瀧波ユカリの臨死!江古田ちゃん内で発見された女子の総称であり、ゆるふわ系天然ドジっ子で狙った獲物(男)を逃さないところから来ているクラスタである。このちはるが、田西を翻弄に翻弄する。惚れた弱みとはよく言ったもので、そんな女やめとけーーー!!と外野が騒いだところで当人はもう真っ黒になっているものである。ド近眼もいいとこである。そのまま考えうる限り最悪のシチュエーションにハマっていく田西の悲哀には言葉もない。
ただ、彼女も初登場時から猛禽だったわけではない。要素はありつつもまだ純朴な田舎娘だったのだ。しかし、田西との些細なすれ違いから徐々に片鱗が見え始め…。彼女の行動は一貫して女、である。女の論理を盾に意図せず人を傷つけるというものだ。この手合の女に、男は太刀打ちできない。ちはるは、ちはるの論理では正しいのだ、と僕は思う。9巻の煽り文を紹介しよう。
ゾクゾクする。いくらスピリッツが青年誌だとは言えなかなか思い切った煽りである。1巻の時点で誰がこの文を予想できただろうか。しかしながら、ある筋の話ではこの手の女は普通にいる、とのことである。ちはる自信の言葉を借りるなら「女は分からないからね〜」である。なお、ちはるは実在する女らしく、作者の花沢健吾氏が憎んでいる女だとか。それにしても酷い描かれようである。ここまで人の心をざわつかせる女を僕はリアルでもフィクションでも見たことがなかった。
最終巻の煽り文は、
最終話。最終ページ。最終コマ。田西よ、笑っているか。
僕は一気に読み終え田西の行く末を確認し、小さく涙した。こうはなりたくないと思った男にいつしか憧れている自分に気づいた時、無様でも何かに立ち向かってみたいと思えた。ノールックでボトルガムを食うキムタクにも、うんこ漏らしても様になるリリーフランキーにもない、本当の男のカッコよさが描かれている。この愛すべき田西の奮闘記は全ての男必読のバイブルであろう。カッコいいの定義が少しアップデートされるような、そんな力を持った漫画でした。