「人の話を聞いていない」ということを最近よく自覚する。
打合せ中はまじで上の空
僕は普段打合せの多い仕事をしているのだが、誰かが話している間、完!全!に聞いていないことが往々にしてある。そのため、会議中に急に意見を求められると答えられないという事態になり、聞いてなかったとバレると色々と不都合なので曖昧な返事をしてお茶を濁す、といった具合である。そして「コイツ聞いてなかったな」ということは周囲には確実にバレているものである。実にマズいのである。
自分の業務に直結していることであれば一応ちゃんと聞いているのだが、少しでも関わりが薄くなると途端に耳がクローズをし始める。右から来たものを左に受け流すのみと化す。
つまりどゆこと?とか言っちゃう
なお、この現象は仕事の打合せのみに留まらない。プライベートでも少し要点が整理されていない話を聞くと途端に耳がクローズしてくるのを感じる。主に女性の話を聞くときにこれを感じるのだが、結局登場人物が誰で、何人いて、何が問題で、何をしなければならないのか、といったことが理解できず、「あーね」だとか「それはヤバいね」だとか何がヤバいか全くもって不明なのだがこういった生返事をしている。そして怒られている。
ずっと俺のターン!をやられ続けると死ぬ
ちなみに、言葉のキャッチボールが細かい雑談であればこういったことは起こらない。お互いのターンが漫才のようにテンポよく切り替わるような場面であれば、一度に聞く情報量が少ないため、その情報量に応じた短い返答ができるのだと思われる。これが相手の話が長くなると途端に意識が遠のいていき、脳は別のことを考え始め、「それはヤバいね」を繰り返すマシーンと化す。
この現象は遊戯王カードとよく似ていて、相手のカードがブルーアイズ級に長い話で「ずっと俺のターン!」をやられてしまうと死ぬの同じである。聴覚が死ぬのである。
この人よく口が動くな、と考えている
それでは、話を聞いていない間何を考えているかというと、それこそ取りとめもない雑念である。打合せの内容とは全く異なる自分の作業のことや、今日帰って何しようか考えてみたりしている。そんなのであればまだいい方であり、「この人よく口が動くな」とか「早く終わらないかな」とか思っている。まる子がお母さんに説教されている時に考えることと同じである。
議事録執りは苦行
そんな中でも議事録を執らなければならない時があり、そんな時は力技で何とかしている。結論めいたところと宿題じみたところのみを「聴こえたままに執る」のである。社会人になってそれなりの時間が経っているため、その程度の力の抜き方は心得ている。ちなみに議事を執った時点では薄ぼんやりとしか理解できていなくて、後で自分の議事を見て「あぁこんなこと言ってやがったのね」となることも多い。実に非効率なのである。
聞き耳を立てる人々
僕とは逆に、人の話をよく聞くことに長けた人もいる。以前職場で隣りに座っていた女性がそうであった。打合せでも、自分の仕事と全く関係ない内容についても意見する彼女は、デスクでも周囲の声に耳を澄まし、僕が完全にスルーしている後ろの席の雑談から僕の電話の内容まで仔細に把握しており、薄気味悪いレベルであった。「人の話を聞く前に自分の仕事しろよ」と思っていたが、人の話を聞かない僕には何を言う権利もない。
しかし、そんな僕も周りの話が気になって自分の作業に集中できなくなることがある。
これを書いている今も、ルノアールで隣りに座っている男がFXトレードの勝ち方についてもう一人の今どきロン毛の男に延々と話して聞かせている。どうやら自身が運営するFXトレードサロンへの勧誘のようで、誰かに習わないとマジで勝てないっすよ!的なことを言い方を替えながら何回も言っている。こんなに一方的に話されてこのロン毛は理解できているのだろうか。甚だ疑問であるなどと考えてしまい文章が手に着かない時間がもう30分は流れた。
取りとめもない思考のやっかいさ
僕のこの症状はさすがに重症であり、何らかの発達障害かもしれないのだが、恐らく僕は興味が無い事柄に対する集中力が著しく低く、常に取りとめもない思考に脳を支配されているのだろう。この「取りとめもない思考」というのは実にやっかいで、少し自分の意識を観察してみたところ、あっちに飛んでこっちに飛んで一点に留まることを知らず、この思考によってメモリを食いすぎたPCのように処理は重くなり、制御しようとしてみても寄生獣に支配された脳のように制御不能であることが分かった。
克服の過程を誰か見守っていてくれ
それと同時に、僕は意識の奥底にタスケテ・・・タスケテ・・・と震える良心を発見したため、今後この状態を改善するために以下のことに取り組むこととする。
聞く力の向上
興味のない事柄についても集中して聞くこと。
欲を言うなら相手の言外に伝えたがっていることを把握すること。
雑念の払拭
意識があっちこっちに飛ばずに一点のみに集中すること。
取り組みの第一歩として、小池龍之介氏の著書「考えない練習」を購入、実践してみることとする。小池龍之介氏とは、僧侶でありながらDVや離婚の経験があり、最近では「もうすぐ解脱する」などと散々公言した挙句挫折したという、やたらとお騒がせな人である。少々きな臭くはあるが文庫本を少し読んでみたところ、上記の悩みを解消するヒントがあるように思えたため採用することとする。書評は別途報告します。