キジ猫世間噺大系

一人暮らしで猫を飼った男の末路

親父がヤクザから門松を買っていた

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ずいぶん寒くなってきてもうお正月の準備も考え始めなきゃなんだけど、正月と言えばふと思い出した話がひとつ。門松について。

 

毎年実家の店では門松が飾られていた

門松といえば一般家庭に置くことは珍しく、主にお店の玄関に置いてあるイメージがあり、もうずいぶん前の話なんだけど実家が経営していた店先にも1月前半は門松が必ず置いてあった。

店は2店舗あったため、2×2の4つの門松を毎年用意していたのだ。ちなみに今はもう営業していない。それなりに立派な4体の門松は確かに店先を華やかに彩り、とても風情があるものだった。

 

それで、先日何の流れだったか皆目忘れてしまったのだけど、父と話した際にふとヤクザのシノギの話になった。確か「アウトレイジ最終章」が盛り上がってる関係で、大友組のシノギである博打は儲かるのか?といった雑談だった。

※アウトレイジ最終章の感想はこちら

 

地元のヤクザ

僕の地元の九州の片田舎では、かつてそれなりに知られたヤクザの団体があり、地元で商売をする以上は避けては通れない相手だったという。

戦後の混乱の中で30人程で旗揚げしたという地元の侠客は、地元の治安維持に努めるとか何とか、そんな大義名分を掲げ、一人の絶大な信頼を集める親分が長年に渡り仕切っていた。


僕が子供の頃、ヤクザの本部の近くの公園でよくサッカーなどしてたものだが、ゆっくり走る黒塗りの車に一度サッカーボールを当ててしまったことがある。小学校5年生だったため、ヤクザなんて全然よく分かっていなかったけど、車から出てきたスーツ姿のオッサン2名にただならぬ気配を感じた。
しかめ面のオッサン達は車の傷の有無を確認した後、「危ないからボール遊びはダメよ」とやんわり言ったことを覚えている。
その近辺にヤクザの本部があると知り、なかなかにヤバめの事態であったろうことを知ったのは高校生になってからだった。

余談だが6年生のになると、その公園で後にヤクザになる地元の中学生に500円カツアゲされる事件が起こるが、それはまた別の話だ。

 

そんな地元で、ゲームセンター等のいささか危なっかしい店舗を構えていた父のところにヤクザが取引を仕掛けるのも必然であった。
スナックやキャバクラなどで、トラブルが起きた時の用心棒をしてもらう見返りにみかじめ料を払うというビジネスモデルは知っていたが、ゲームセンターでも例外ではなかったらしい。

既に平成になっていた当時でも、地元で個人で商売をする人は皆ヤクザとの付き合いがあったという。
なんでも、トラブル発生時の初動が警察より早く処理もうまいのだとか。カネを渡さなければならないやっかい反面、それなりに町の治安に一役買っていたのだろう。

ちなみに一言断っておくと、僕の父は完全にカタギだ。

 

その関係で、父は毎年ヤクザから門松を買わざるを得なかったということなのだ。毎年師走が差し迫ると電話がかかってくるという。
「○○さん今年もお願いしますね」1体2万円だから4体で8万円。毎年バカにならない出費である。


他にも地元の商売人は何かにかこつけて、それこそ親分の誕生会などにまで呼ばれてせっせと足を運ぶしかなかったようだ。そんな時何を話すのか父に聞いたところ、ほとんど親分の自慢話に頷いているだけだと言っていた。
「この鯉は100万した」だとか「この掛け軸は200万だ」とかいったモノの自慢を親分は目を輝かせながらしていたんだとか。
なお、親分は一見すると小柄でどこにでもいそうなオッサンだったそうだが、屈強なボディガードを従えている姿は異様だったという。

 

ちなみに、晩年の親分は裏家業からきっぱりと足を洗い出家したという。どんな悪いことをしてきて、どんな経緯で出家までしたのか全然知らないけども、ほとんど一人で、胆力一本でもって長年に渡って地元で一定の役割を果たした親分の人望はとても厚かったという。
今では組も解体し、親分も鬼籍に入り、地元では小ぢんまりとした民家然の本部が一軒あるだけだ。

 

飲み屋街のマスター

で、話はガラッと変わるんだけど、父は毎日地元の温泉で朝9時からひとっ風呂浴びるのを日課にしており、地元に帰省した際は温泉に着いていくことがある。温泉には高齢の地元の人たちが集まっており、皆顔見知りでサウナなんかでドぎつい方言で雑談をしてるのだが、一人皆から「マスター」と呼ばれている小柄なオジサマがいた。

オッサンではなく「オジサマ」。そんな気配を持つ上品な人で歳は80くらい。

その「マスター」は身長150cmくらいでかなり小さく、カクシャクとしていて、とても人の良さそうな柔和な顔つきで僕にも気さくに話しかけてくるのだ。

そして帰りの車の中でなぜその人が「マスター」と呼ばれているのか父に尋ねたところ、地元の飲み屋街で昔バーをやっていたから、昔からマスターなのだと。納得。

しかしその後の父の発言で目ん玉飛び出た。

 

「マスターは人を殺しとる」

 

父によると、マスターは昔ヤクザで、組同士の抗争の中で鉄砲玉として投入され、殺人罪で17年間ほど服役したのだという。あの柔和な笑顔の裏にそんな過去があったとは・・とひとしきりビビった後、色々考えてしまった。

殺人なんて犯してしまったらもう人生終わりじゃん、としか考えたことがなく、殺人後の人生がどうなるかなんて考えたこともなかった。

でも極めて当たり前だけど、刑期を終えれば出所して一般人と同じになる。

そして、マスターの場合は出所後水商売をそれなりに成功させてここまで生きてきた。あまりにも普通で、それこそあちこちからただれてくるくらい平和な世界に生きている僕にとっては、マスターの人生にものすごく興味が出てしまった。

願わくばマスターに色々話を聞いてみたいのだけど、「刑務所どうでした?」など口が裂けても言えないので、想像だけに留めることとする。

 

おわりに

長く生きていると、色んな人がいて、色んな事件があって、皆それぞれに折り合いをつけながら筋を通したり通さなかったりして過ごして来たのだな。
年配者に話を聞くのは本当におもしろい。正月帰省する人は皆年配者からの取っておきの話を収穫してきてほしい。
きっとすべらない話の何十倍も濃くておもしろい話に出会えるはずだ。