香川の直島というところに現代アートなるものを見に行った。波止場に鎮座する水玉模様のカボチャで有名なあの島である。インスタに空の写真なんかアップする層がこぞって出かけるあの島である。
僕はそこで現代アートをほとんど初めて見たわけだけど、アレは本当に一筋縄ではいかないものですね。
直島に点在するアートの一つに「きんざ」というものがあった。築200年の古民家を改修して作ったアート作品であり、鑑賞にあたってはネットで事前予約が必要である。金も発生し、確か520円であったか。予約の時間になると15分間古民家に一人閉じ込められ、一人でゆっくり鑑賞できるようになっている。
僕もその「きんざ」に予約の5分前に着き庭で時間が過ぎるのを待った。スタッフから紙が配られ、読むと「待つ時間も作品体験の一部です」とある。なるほどものは言いようである。スタッフからの注意事項の伝達もあった。
床に配置されたビー玉や棒も作品の一部なので触れないでください。柵より先へは決して行かないでください。柵に近づくと警報が鳴ります。とのことであった。
いやにウヤウヤしいアート作品ではないか。警報が鳴るアートなんて、ルパンが盗み出す名画ではないか。否が応でも期待が高まる。
時間になり、古民家に足を踏み入れてみると、土壁で囲われたがらんどうの空間にぶら下がるドラム缶状の何か。人の可動域を二畳程に制限するための柵。転がるビー玉。謎に立つ棒。天井から垂れ下がる紐。などなどが配置されていた。
座るためであろう、15cmばかりの高さの椅子(と呼んでいいかは不明)に腰を下ろし一通り作品を眺めて何かが動き出すのを待つ。1分、2分。気配なし。薄々気付く。これは動くものではないと。では何か。
これだけである。ただただ薄暗い空間に配置された何かを眺めるだけである。警報を鳴らすためのセンサーは視認できない。そして寒い。ここに15分間ジッと居るだけというのは軽い拷問ではないか。
しかし何も無しと決めつけて諦めるのは早計である。これには何か深い意味があるに違いない。こちらとしても520円払った手前、その因果を求めてしまうのである。対価相応のバックがあって然るべしとの想いに支配されたこの意識が既にアート的でないということは置いておこう。
僕は作品をジッと眺めこういうことを考えた。もしも戦国三英傑が「きんざ」に入ったら。
信長・・・開始1分でビー玉を蹴飛ばし柵を乗り越え警報を鳴らし駆けつけたスタッフにブチ切れる
秀吉・・・本当に警報が鳴るか柵のギリギリを攻めたり写メを撮ったりする
家康・・・15分間ジッと待つ
僕の場合は何も深い意味を見出せず、秀吉になりかけたところで思い留まり「きんざ」を出ることにした。都合7分。よく粘った方であろう。
なお、同行者三人のうち三人ともが家康であった。曰く、数分で出るのは恥だから耐えた、だとか、520円の元を取ろうと思った、だとか、寝てた、とのことであった。いずれにしても人間は理解不能なものを前にすると多種多様な反応をするものである。そして「きんざ」のゲージュツを解するものはいなかった。
「きんざ」を後にして別のアート作品のスタッフのオッサンと話す機会があり、「15分間持ちましたか?」と問われたのでこの人もそりゃ分かんねーわなと高を括って「いいえwww」と答えたところ、何度も足を運んだ彼曰く「すごく自分と向き合える場所で15分の尺が7分くらいに感じる」とのことであった。オッサン、そんなハメ方ねーよ。
とどのつまり、現代アートって見る側にも相応のリテラシーがないと楽しめないものなんだろう。縁なき衆生は度し難しである。でも「きんざ」はどうしたって「コレを良いと言っちゃう私ステキ」に支えられてるアートとしか考えられないじゃないの。