「高大連携歴史教育研究会」とかいう仰々しい名前の会が、高校の授業が暗記中心になっているのは問題だとして、歴史教科書の約3,500語を半減すべしとの提案を行った。
削除案の中には、武田信玄、上杉謙信、吉田松陰、坂本龍馬らが名を連ね、歴史好きの間で賛否両論巻き起こす論争になっている。
論調はこうだ。
吉田松陰は若者をそそのかしたテロの首謀者、坂本龍馬は怪しい武器商人、ということである。個人的には吉田松陰がいなかったらあの長州閥はあり得ないので、松陰先生を外すのはまずナシだ。
で、坂本龍馬。これについてはかなり反発が多く、高知知事も「教科書に残して~」と嘆願するに至っている。しかし、実際龍馬がいなくとも薩長同盟は成っていたし「龍馬過大評価されずぎ」の論調も納得である。
いち下級武士としてあまりにDQNな坂本龍馬。歴史教科書に残して子供達がそのDQNっぷりを真似する前に即刻削除すべきだ。
知ってる人には当たり前の話だと思うけど、以下が後継に悪影響を及ぼす龍馬のDQNエピソード7選だ。
- 1.死罪覚悟の脱藩
- 2.風呂で金玉を割って死んだ人のことイジりすぎ
- 3.全然平和主義者じゃないし何なら寺田屋で2人殺してる
- 4.金儲け目当ての死の商人
- 5.いろは丸沈没事件で紀州藩からボリすぎ
- 6.「世界の海援隊でもやりまさぁ」とは言ってない
- 7.色ボケ梅毒&ハゲ
- おわりに
1.死罪覚悟の脱藩
10両(現在の貨幣価値で150万~200万円)盗んだら死罪となる江戸時代。藩籍から勝手に離れて殿様との主従関係を一方的に解消する脱藩は、当時の法律でもちろん死罪。本人が死罪になるどころかその家族にまで類が及ぶ罪なので、脱藩はまさしくDQNの所業。
脱藩の時は夜逃げ同然に深夜怪しまれぬよう城下を抜け、多くの関所を避けて、追っ手が来るので宿にも民家にも泊まらず野宿するしかない逃亡の旅だ。20代半ばで脱藩した龍馬は吉田東洋暗殺の容疑者としてもマークされていて超危険だった。
ちなみにその逃亡ルートは「龍馬脱藩マラソン大会」というお気楽なイベントで辿ることができる。
脱藩のリスクは、我々が転職するかな~と悩むレベルとは訳が違う命がけのもので、あまりに危険な背信行為のため、子供達が真似する前に歴史から抹消すべし!
2.風呂で金玉を割って死んだ人のことイジりすぎ
※龍馬書簡集より
まずはこの龍馬の手紙を見てほしい。これは国の重要文化財「きんたまの手紙」である。脱藩して1年後に姉乙女宛に送られたこの手紙、めちゃくちゃ読みにくいが、ほんの150年前の日本語である。頑張ればなんとなく読めるのがおもしろい。
特筆すべきは右から三行目、「きんたま」の記載があるのを確認できただろうか。現代語訳は以下である。
そもそも人間の一生など、わからないのは当然のことで、運の悪い人は風呂から出ようとして、きんたまを風呂桶の縁で詰め割って死ぬこともある。
それと比べると私などは運が強く、いくら死ぬような場所へ行っても死なず、自分で死のうと思っても、また生きなければならなくなり、今では、日本第一の人物勝麟太郎殿という方の弟子になり、毎日毎日、前々から心に描いていたこと(海軍のこと)ができるようになり、精出して頑張っています。
ですから、四十歳になるころまでは、うちには帰らずに働こうと思っています。
兄さんにも相談したところ、最近は大変ご機嫌がよくそのことについてもお許しが出ました。
国のため、天下のために力を尽くしています。
どうぞお喜びください。さようなら。
三月二十日
龍馬
乙女様
おつきあいのある人のなかでも、ごく心安い人ならば、そっと見せてもいいです。さようなら。
※龍馬書簡集より
およそこれが姉に宛てた手紙であることに驚きを隠せない。きんたまて・・。そして風呂で金玉を割って死ぬ人間が存在したのだろうか。それにしても地獄のようなな死に方ではあるが、金玉を犬に食われた人間は実在したようだ。
手紙にも出てくる勝海舟(麟太郎)である。9歳の頃に病犬に片金を食いちぎられて死の淵を彷徨っているのだ。
この手紙はそんな師匠のことをイジってるに違いない。なんて不届きなDQNの所業!
3.全然平和主義者じゃないし何なら寺田屋で2人殺してる
龍馬と言えば平和主義者というイメージが着いていて、それは北辰一刀流免許皆伝の腕前と言われる剣客でありながら一人も人を斬ったことがないからだろう。まさしく司馬遼太郎マジックの為せる技だが、寺田屋事件の時に2人も殺してることはあまり知られていない。
寺田屋事件ーー京都伏見の龍馬の常宿寺田屋で、指名手配となっていた龍馬が伏見奉行所30人の捕り方と大立ち回りをやった事件で、深夜2時に龍馬は護衛のデキリー三吉慎蔵と共に応戦。風呂に入っていたおりょうが裸のまま二階に知らせに来たのは有名な話だ。
この時龍馬は高杉晋作からもらったピストルで応戦。捕り方2名を射殺に至っている。その後命からがら九死に一生を得て西郷隆盛の助けにより薩摩藩邸で庇護。
この通り、正当防衛とは言え卑怯にも当時誰も持ってなかったピストルを使って2名も殺してる!この卑怯な手口を子供が真似したらどうする!削除削除ォォ!!
ちなみに事件の舞台寺田屋は、当時の建物から建て替えているにも関わらず、事件当時の弾痕、刀傷、おりょうが入っていた風呂桶に至るまで、さもモノホンであるかのように展示している。なんて闇が深いんだ!アウトアウト!!
4.金儲け目当ての死の商人
そんな龍馬の資金源と言えば、長崎で設立した亀山社中(後の海援隊)だ。日本発のカンパニー制を取るこの組織は、トーマス・グラバーと手を組み大量の武器弾薬の入手に成功する。ここで龍馬は薩摩藩名義で武器を入手し、長州藩に転売するという塩梅だ。この武器取引が後の薩長同盟を結ぶ布石になったと考えられている。
ちなみに、当時の長州藩は吉田松陰の流れをくむ倒幕急先鋒として幕府方からぶっ潰されようとしていたため、もちろん長州藩の海外との取引は禁止。その点龍馬はDQNなのでルール無視して長州にめっちゃ武器を売るわけですよ。
武器の裏取引なんてヤクザのシノギと一緒や!子供が真似したらどうするぅぅぅ!!
5.いろは丸沈没事件で紀州藩からボリすぎ
1867年、龍馬31歳の時に、海援隊が借り受けていた蒸気船いろは丸でいつものように密輸武器を取引のため、長崎から大阪へ向かってる途中、紀州藩の軍艦 明光丸と衝突。明光丸は軍艦なので比較にならないほど大きく、いろは丸は当然沈没。
で、龍馬は即訴訟の準備をして、無知な紀州藩相手に「万国公法(当時の国際法)」を持ち出して賠償交渉をするんだけど、そのやり方がえぐい。まず万国公法なんて当時日本で全く知られておらず、たまたま勝海舟に学んで知っていた龍馬、万国公法なら自分の土俵だ。
そこで龍馬は自船の最大の過失、海上で対面した際は互いに面舵で回避、というルールを守っていなかったことには目をつぶり、屁理屈を立てて紀州藩側の過失を追及。さらに、長崎で流行歌「船を沈めたその償いは金を取らずに国を取る」を流行らせて世論を味方につけた。
龍馬は、積荷の銃火器類が全て海中に遺失したとして紀州藩に賠償金8万両を請求。今の貨幣価値で30億以上だ。そして龍馬サイドは口八丁で7万両の賠償金を勝ち取ることになる。
ここまでなら交渉に長けた兄ちゃんだなーなのだが、話はここで終わらない。
2006年に沈没したいろは丸の調査が行われた際に新事実が発見された。調査の結果、龍馬が主張した銃火器類が全く見つからなかったのである。大ぼら吹きや!大ぼら吹きがおるぞぉ~!当時海底調査ができなかったことをいいことにやりたい放題や!アカン。
6.「世界の海援隊でもやりまさぁ」とは言ってない
今からちょうど150年前の大政奉還後、龍馬は「新政府綱領八策」として、新政府の人事案を考えて西郷らに見せた。
この時、龍馬はNo.2である副関白のポストを「〇〇〇」と表記して、どこの殿様にもNo.2のポストに入る可能性があるように見せたという。真意は、徳川をないがしろにしてはならないということから、徳川慶喜を入れようとしてたという説が濃厚ですね。
それはいいとして。
この人事案には坂本龍馬の名前がなかったから、西郷がこう問うわけですよ。「坂本さぁはなんばやられもす?」そこで答えた龍馬の名言が、「わしは世界の海援隊でもやりまさぁ」
これだけ聞くと確かにめっちゃカッコいいが、実はこれ龍馬シンパの後の外務大臣陸奥宗光の創作の線が濃厚。「そのときの坂本は西郷より二枚も三枚も大人物に見えた」と陸奥は後年何度も語り継いだというが、本当のところは不明である。
司馬遼太郎や陸奥宗光の創作により史実が捻じ曲げられている!こんな不確かな話を子供達に聞かせるわけにはいかん!断じていかん!
7.色ボケ梅毒&ハゲ
最後に、これも有名な話なんだけど、龍馬は梅毒に冒されていたという俗説がある。中江兆民がそう言っていたということで、幸徳秋水の『兆民先生』の中に「龍馬は梅毒のために髪が後退して額が広くなった」という記述があるのだ。
幕末には梅毒が蔓延していて、実に成人男性の5割が梅毒にかかっていたという説があるんですが(ホントかよ)、龍馬もそうだったとか。
成人男性の平均身長が150cm台の時代に、170cmあったと言われる大柄な龍馬はコミュ力が高く、その愛されキャラで多くの女性に取り入ったのだ。
でも梅毒ではげる時は虫食い状にいくようなので、生え際からキテると思われる竜馬は単なる若ハゲだという説もあり、真相は闇の中だ。
相当な女好きとして江戸でも長崎でも京都でも遊びまわっていたと伝わる坂本龍馬、許すまじ!きえぇぇぇぇい!!!
ちなみに来年の大河ドラマになる西郷隆盛も男色男色&デブ専の異色の性豪なので、その辺りが劇中どう書かれるか個人的に楽しみだ。サイゴウ セイゴウ ヒアウィーゴー!!
おわりに
先日の2017年11月15日は生没両日の龍馬の没後150年目だった。
京都の霊山にある龍馬の墓には、龍馬最期の日に食べようとしていた軍鶏鍋が添えられたという。
正直龍馬がDQNであろうがなかろうがどうだっていいが、龍馬の愛すべきキャラは姉乙女が保管していたたくさんの手紙にしっかりと残っているし、いち下級武士でありながら耳学問だけで歴史に残った特異な人物像は誰が見ても評価に値するだろう。
で、教科書から削除するかどうか。正直どっちでもいいですよ。だって今の歴史教科書見ても「坂本龍馬らの助けがあって薩長同盟が成立した~」としか書いてないではないか。
歴史教科書は単に史実を伝えるに非ず、子供達にロマンを伝えてこそ意味があるという論客がいるが、教科書に載せたとしても実際のところ単語の羅列だけなので教育も何もない。
教科書に載せようが載せまいが、教える人がロマンを持って伝えていくことで本当に意味のある教育になるのではないだろうか。とか言ってみる。
※本記事はほとんど上記「お~い竜馬」の知識をベースにしているので、異論がある方は武田鉄也さんまでお願いします。