キジ猫世間噺大系

一人暮らしで猫を飼った男の末路

三国志展 感想。実は三国志って僕らが思うよりもスケールが小さい話だったんじゃないか説

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特段中国史マニアというわけではないが上野でやってる「三国志展」に行ってみた。言わずと知れた魏・蜀・呉の群雄割拠時代の遺物の特別展である。

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当時の美術品やら武具やら色々と展示してあり興味をそそられたが、一番衝撃的だったのは当時の中国の人口が760万人しかいないということであった。

あの広大な土地においてほんの760万人が三国に分かれて争っていたのである。なお、この人口は現在の愛知県の人口に近い。

三分割すると250万人。これは京都府の人口である。で、このうち男が125万人で、さらにお年寄りと子どもと病人を外すと一国のうち戦える人間は60万人程にすぎないのではなかろうか。60万人というのは日本のニートの数より僅かに少ないレベルである。実にスケールが小さい。

 

幽遊白書で雷禅・黄泉・躯が争う魔界は余りにも広く深いためS級妖怪同士が出会うことはないみたいなことを蔵馬が言ってたが、あれだけ広大な中国大陸も同じようなもんなんだから争いなんて起こらなくね?そもそも人口少なすぎん?

と思ったが、どうやら当時の地球の気温は今より1℃ほど低かったらしく、そうすると牧草の生育期間が1ヶ月も短くなり、北方の遊牧民が寒さと飢えで南下してきて、こいつらがやたらめっぽう強くて、後は玉突き式に陣取り合戦というわけである。少し納得。


そして剣や弩などいろんな武器も展示してあったのだがどれも小振りな印象を受けた。ほっそ!ちっちゃ!なのである。しかしこれには心当たりがあり、どう考えても僕は漫画やゲームのイメージに影響されていた。言葉を選ばずに言うならば蒼天航路とキングダムと三國無双のせいである。

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件の武将たちはクソでかい青龍刀や槍を持ち、酷いものになるとサンシャイン池崎の2tの剣みたいなものまで振り回す始末。そして隊列の取れた軍隊にも関わらず将軍が単騎で先陣を切り敵を甲冑ごと両断していくのである。

いや、あの時代の武将の強さって戦術が巧みとか、判断力が優れてるとかそういったものでしょ?個の強さはそんなに重要なのだろうか。納得がいかない。

呂布や関羽が単騎で強いというのはまだ許せるが、三國無双というゲームにおいては戦場で諸葛亮を操作でき、その諸葛亮の攻撃は扇子からビームを繰り出すというものであった。赤壁で魏軍にひとりで突っ込み曹操を扇子で扇いで「敵将討ち取ったり!」である。

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いwwやwwいwwやwwである。せめて諸葛亮の攻撃は罠にしてほしかった。落とし穴やマキビシで敵を撹乱するのである。この方がずっとリアル。いやしかし、これはクソ弱そうだ。孔明の罠言うてる場合じゃない。劉備だってこんな奴のために三回も参った甲斐がなかろう。

 

それはいいとして。展覧会の最後には2009年にようやく発掘された曹操の墓から出てきた副葬品が展示されていた。曹操は「葬式や墓は簡素に済ますように」との遺言を残しており、実際に展示された副葬品もどれも地味な印象を受けた。実利を重んじる曹操らしい遺言と言ったところか。

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これは後漢時代の揺銭樹(ようせんじゅ)。平たく言えば金のなる木。あの世に行ってもカネに不自由しないようにとの願いが込められている。このような文化で王が葬式を質素に、というのはかなり特殊だったのではなかろうか。

 

特筆すべきは、墓から曹操のものと見られる頭蓋骨が発見されたことである。その映像が流れていたのだが、白くて丸い頭蓋骨が地面と同化しているようだった。曹操も、1800年後自らの骨がこれだけ多くの目に晒されることになるとは思わなかっただろう。ちなみに遺骨から推定される曹操の身長は155cm。これはナイナイ岡村よりも低いが曹操にそんなイメージがないのは、歴史は勝者に都合がいいように作られるものだからか。三国志は皆が想像するよりずっとスケールの小さな話だったのかもしれない。

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※ところどころに展示されている横山三国志の原画に見入ってしまう。

 

なお、蒼天航路ルートから入った僕はむろんスリザリン(曹操派)。横山光輝ルートや人形劇から入った人はグリフィンドール(劉備派)で間違いないだろう。しかしハッフルパフ(孫権)の影の薄さよ。。