ホタルの季節がやってきたが、今年は昨年に引き続きどこの放流スポットも中止となっている。これではいかにも寂しいので、2年前のホタル鑑賞の思い出を記すこととする。
2年前、梅雨もアップを終え本格始動したある日、全てに疲れた僕は後輩Kを連れ立ち群馬の山奥までホタル鑑賞に出かけた。天気予報は案の定雨だったが、目指す群馬県田口町は微妙に降ったり止んだりの空模様で、ホタルが出現しやすいとされる日没後には雨は上がるとのことだった。
駅で待ち合わせし、気の短いタクシーからクラクションを受けながらKをピックアップする。ホタルを見るのはいつ以来だろうか。十数年前の京都での学生時代に上賀茂神社にほど近い疏水にわざわざ見に行ったのが最後だっけ。同じゼミの京都出身の女の子に話しかける口実として大して興味のない話題を振ったのがきっかけだった。授業終わりに流行りのナタデココの飴を一粒くれた子だった。
「ねえ、京都でホタル見れる場所ってどこ」
彼女がしばらく逡巡した後に答えたのが上賀茂神社疏水であった。あわよくば一緒に、と考えていた僕だが彼女の逡巡に含まれた微かなニュアンスを過敏に受け取り虚しくも会話は
「ありがとう」
で終了した。その時も寮の後輩を連れて男だけで見に行ったのだった。
ゴーグル付きの半ヘルを浅くかぶり原付を飛ばし疏水に着くと水の上をホタルが飛んでいるのが見えた。腰を下ろし覚えたてのタバコをふかすと一匹が寄ってきた。タバコの火を仲間と勘違いしたのだろうか。淡い思い出である。
あれから十数年の時が経ち、またしても男とホタルを見に行く車中で、Kの選曲で夏歌が流された。土砂降りの雨でフロントガラスが忙しい。ワイパーの音をかき消すようにフジファブリック『若者のすべて』が流れた。初夏に夏の終わりのナンバーを聴くと、まだ夏がまるまる残っていることが嬉しくなった。
また、幾度となく聴いていた『若者のすべて』の歌詞をじっくり考えたのはこの時が初めてだったのだが、意味を理解して驚いた。
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
2人は花火の後に出会ってたんだね。
群馬に着いてからは適当に車走らせてロードサイドのとんかつ屋に入った。そしたらここが最高の当たり店で、これまで下調べ無しで店に入った経験の中で断トツの一位であった。
低温で揚げた白い衣のロースかつ、美味しすぎた。
ホタルの光が見えやすい時間になったので放流スポットに赴く。風情を邪魔しない程度の出店がいい味を出していた。
ホタルの幼虫はカワニナしか食べず成虫は水しか飲まないとか。昆虫の成虫の時期って、老年でありながら青春時代なんだと思う。死ぬ前に全力で一花咲かせようとしてるのかな。前半に青春が来る人間とどっちがいいのだろう。
ホタルはたくさんいた。ホタル博士みたいなおじさんが色々教えてくれたが、東日本と西日本で同じゲンジボタルでも点滅の間隔が違うらしい。西日本の方がせかせかしてるとか。人間と一緒?
あと、長野にあるナントカっていう鑑賞スポットがとにかくホタルの量が桁違いで感動し倒したと言っていた。場所も失念してしまったが、眼下いっぱいに広がるホタルの光はきっと魂をイメージさせるんだろうな。一度見てみたい。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
都々逸で詠まれるようにホタルは情念的でありつつも、内省の深みに誘うような存在らしい。
帰路の車内で流れる『若者のすべて』を、僕らは無言で聴いていた。