4月24日にシンガーソングライターの森田童子さんが亡くなっていたという報道が今朝出て、一時期狂ったように森田童子を聴いていた僕は不思議な気持ちになった。
森田童子のおもひで
森田童子といえばもじゃもじゃ頭にグラサンという出で立ちで素顔が全く分からない、男か女かも分からない見た目をしていながら、一度聴いたら忘れない透明感のある歌声で絶大なインパクトを残すシンガーだ。取り分けその作風は暗く、全くもって生活感が見えないというのも興味を誘い、19(ジューク)とかいうマイルドヤンキーがど真ん中世代の僕とは相当に離れているが、大学生の頃延々聴いていた時期があった。遅く来た中二病だったのかもしれない。
森田童子の歌は、とっくに引退した後の1993年、高校教師のドラマ版主題歌としての「僕たちの失敗」が有名だけど、その活動時期は1970年代、全共闘時代に遡る。その絶妙に暗い作風は、若者たちが内ゲバに明け暮れた時分の時代背景を如実に顕しているように思えてならない。「みんな夢でありました」で森田童子は問う。あの時代はなんだったのですかーーー
そして、その時代の学生運動の流れをくんだ京都の学生寮に住んでいた僕にとって、森田童子の超超内省的な歌は得体の知れないシンパシーを運び、よく寮の六畳間で当時隆盛を極めたMDコンポで流していたのだった。いたるところにゲバ字が踊る木造寮の部屋の万年床に横になると、天井に「書を捨てよ、町へ出よう」と汚い字で殴りかかれた寺山修司の言葉が目に入るも、僕は町へは出なかった。そんな退廃的な日々に森田童子はぴったりだった。
森田童子、中島みゆき、山崎ハコという鬱シンガー
森田童子の歌は、基本的には一人称が「ぼく」である。この前関ジャムを見てると、女性の一人称が「ぼく」の歌のパイオニアは確か浜崎あゆみだとか言ってたけど、なんのことはない。とっくの前に森田童子がやってるのだ。
また、しばしば森田童子は暗いシンガー三銃士に数えられる。森田童子、中島みゆき、山崎ハコだ。僕はその中でも森田童子は別格ガチモンだと思っている。
中島みゆきは「うらみ・ます」とか「私中卒やからね~」とか色々あるが、銀の龍の背に乗ったり一人でオールを漕いでいったり、最終的にはポジティブだ。そしてなにより中島みゆき自身のラジオを聴いてたまげたが、本人は根明の権化のようなおばちゃんである。全然怖くない、いや、逆に怖い。
そして森田に比肩する暗さの山崎ハコ。ハコはハコで「呪い」とか「織江の唄」とかなかなかにパンチ効いてるのだが、一度ちびまる子ちゃんのアニメで、さくらももこが山崎ハコのファンだったことから、ハコが心優しいシンガーのお姉ちゃんとして登場したことがある。この時点で全く怖くない。興醒めもいいとこである。アニメのエンディングで「コーンコーン コーンコーン くぎーをさーすー」と流した時は多くのちびっ子をトラウマに陥れたはずではあるが。
対して、森田は完璧だ。全く生活感を見せないスタイル、引退したら全く表に出てこない徹底ぷり、崩れない世界観。一度どんな人物なのかどうしても気になって2chで検索したことがあるが、あのネラー達にして「森田さんが健やかであることを願います」とのコメントばかりであった。「健やかに」なんて言葉をかけられて違和感のない大人は森田童子くらいではなかろうか。ガチモンと言わざるを得ない。
例えばぼくが死んだら
訃報を聞いて不思議な気持ちになったのは、元来、森田童子というキャラクターが、生きてるのか死んでるのか分からないような、黄泉の淵から唄いかけるような、すぐにでも死んでしまいそうな、儚く脆いイメージだからだと思う。(褒め言葉)
例えばぼくが死んだら そっと忘れてほしい
と言われても、その類稀なる才能は忘れられないのだ。
願わくば森田さん亡き後、本人の意に反してプライベートが暴かれるようなことがないよう、ご冥福をお祈りします。