去年の話だが、関西に出張する機会があり、渡りに船とばかりに京都まで出刃包丁を買いに行った。
魚を捌くことにハマっており、魚屋で丸のままの魚を買ってきては捌くということを楽しみにしてるのだが、いかんせん包丁のラインナップが悪い。福井で自作した三徳包丁を使って捌くわけですが、これがかなり心許なくて、刃が薄い分刃こぼれの懸念もあるし、頭を落とす時に力任せでやる必要があって非常に難しいのである。
その点出刃は硬い骨にも太刀打ちできる仕様になっており、峰が分厚く力が入りやすいため頭も難なく落とせるという、正に魚のための包丁であるので、切望していたところであった。昭和の殺人事件でよく出刃包丁で一刺し、とあったが確かに三枚おろしのラインが入れやすい様に切先も尖っておりビジュアル的にも非常に所有欲を掻き立てられるデザインとなっている。
しかし、いざ出刃を買うぞとなっても、通販で適当な値段のものを買うのも微妙である。用途特化型の包丁はそんなに使用頻度も多くないため長く使えるのは必須条件だ。できれば一生モノを、そう思っていた矢先に後輩のM田が京都の錦に店舗を構える「有次」で5寸出刃を購入していた。
有次とは包丁界でも屈指の老舗で一生モノとするには充分過ぎる名ブランドである。それを見て僕の有次への憧れは日に日に強くなり、一度は暖簾分けした築地の有次で買おうかと逡巡したものだが、やはり一生モノなら本家で買いたい。そういった折の関西出張だったため、あえて土日に被るようにセッティングして、有次を買うことが出張の第一目的となっていた。
で、適当に仕事終わらせて適当に会食で取引先をヨイショして「いやーおたくもウチと変わらずブラックですねーガハハ!」とか言って会食を終えて翌日錦市場くんだりまで足を運んだのだった。
有次の店舗に入るなりディスプレイに所狭しと並ぶ包丁が目に飛び込んできた。刃物は何故だか眺めているだけで楽しい。おそらく、ピストルでもスタンガンでも武器なら何でも見てて楽しいと思われる。
で、有次には銘を彫ることができるのだが、僕は一つ候補があった。実は福井で作った三徳包丁の銘には「一期一会」と自分で彫っており、これは食材との一回一回の出会いを大切にしようだったり、食材を切り離す行為の不可逆性を示唆していたり我ながら諸説あるのだが、今回は魚用なので「一魚一会」にしようと思っていた次第である。そのことをM田に話すと一笑に付されて、寒いっすよと言われたので考え直すことにした。
それから早速有次の白鋼を購入しようとしたところM田から錦の寺町どんつきに土佐包丁の専門店があり、そこは青鋼がリーズナブルに手に入るとの入れ知恵が入ったのだった。包丁の鋼の種類には、安価なモリブデンバナジウム鋼から高価な白鋼、さらに高価な青鋼と多岐に渡っており、それなりのものを持とうと思ったらやはり白鋼か青鋼が良いと思われた。なお、青鋼は白鋼よりも耐久性、錆びにくさ、価格に置いて一段上のクラスとなっており、本みりんや大吟醸、レクサスやインフィニティ、ロロピアーナやカノニコに相当するものであると思われた。有次の青鋼五万超えなので諦めていたが、土佐包丁だと二万台で買えるらしい。物は試しと店舗に寄ってみることにした。
土佐包丁は確かに青鋼が安価で売っていた。この素材でこの値段はどこにも無いだろう。別にブランド志向もないし迷うことはないところかと思われた。だが、ここの全ての青鋼が両刃だったのである。マジかよ、である。和包丁といえば片刃!片刃こそ魚の身を切り離すのには最適!両刃は異国から流入した文化による代物で外来語と一緒!という頭しかなかったので、ここで大いに悩むことになった。
僕は元々左利きで包丁は左手でも使えるので、最終的には両手で使える両刃が有利!と無理矢理自分を納得させて土佐の両刃青鋼を購入するに至ったのである。M田は白鋼有次を既に購入していたが、M田的には青鋼が気になっていて片刃には拘らないため、交換してもよいと言ってくれたことが後押しとなった。
でもそこからは自分の判断が正しかったのかの自問自答である。両刃という妥協の産物で納得できるのか?背骨に沿わせて三枚おろしする時は骨に沿って滑りやすい片刃が良いのでは?と言った懸念が頭をもたげ離れなくなった。最終的に「切れ味のいい包丁買いましたけど、片刃への想いだけは切り離せませんでした」とM田に宣言して包丁交換の儀と相成った。
かくして片刃の有次を手に入れた僕は早速真鯛をおろしてみた。めちゃくちゃ捌きやすくてやはり片刃は正解だったかと思われた。が、終わって刃を見るとめっちゃくちゃ刃こぼれしてた。ガッツンガッツンに刃こぼれしてやがった。猪之助の刀くらい刃こぼれしてやがった。
そんで何回か使ってたら、早くもちょっと錆びてきた。白鋼ってこんなに脆いの?今からでも青鋼返してくんないかな。